2012年9月27日木曜日

牧師のひとり言 NO17

初老牧師:友川栄

「継続は力なり」 

  キリスト教の教会は神を崇める礼拝を毎週日曜日休むことなく続けています。聖書を通して神の言葉を聴くために、今後も続けていくことでしょう。集う人数は余り関係ありませんよ。(が、本音は多く集る方がいいに決まっていますよね・・・。「今日は少ないなぁ!」という一言
 が
牧師には堪えますから!「少ないなぁ」は禁句ですぞ、と脅したして・・・)イエス・キリストが聖書で語っている通り、二人または三人がイエスの名によって集るならば、そこにイエスもおられる。そこに「教会」が立つとを信じて集う。

  神の言葉を聴くとは、人間の知恵や叡智を養うことではありません。人間の願いを適えるためでもありません。神が何を求めているかを聴くためです。神の御旨を知るには、神に問い、問われ、聴き続けるしかないのですね。私たちは自分の思いを優先することがありますが、受け容れがたい艱難に遭遇することも。クリスチャンも悶々する。がしかし、神は約束を決して反故にしません。不思議な道で、御心を成就なさる。願いと反することが、後になって豊かな実りであった、と実感する。十字架にまで架かり命を捨て、一人ひとりを愛して下さった神なのですから。

人間が「真の愛」を知るには、途方もない時間と犠牲と労苦と修練を要しますが、自分の力では、ほぼ不可能に近い。いや神と周りの方々の支えなくしては遠い道のりですよ・・・。だからこそ礼拝に出席する。教会とは「神の愛」を学び続ける「学校」です。卒業することのない「学び舎」。時には、留年をすることも。不平を言い、神に楯突くことも。引き籠り不登校になることも。が、神は決して退学をさせません。神の愛に飛び込み、立ち戻ることを「じっと」待っておられる。神を信頼し、聴き続ける者には、再び歩き続けることが出来るよう、力と勇気を与えてくださる。神の愛が分かるまで、もがくことも。が、神はぶれない。そのような神に聴き続けたいですね。「継続は力なり」を肝に銘じながら。                         



アクセスいただき有難うございます。次週も、また、また、また、あれっ何回「また、また、また」でしたっけ?!・・・失礼ながら健忘症なので続けます・・・また、また、また「また遭う日まで」を楽しみにしていますから。







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