2021年10月24日日曜日

【説教】「結婚の秘儀に生きて行きたい」 2021年10月24日 マルコによる福音書10章2~12節

「結婚の秘儀に生きて行きたい」 

 

 2021年10月24日 マルコによる福音書10章2~12節

 

    マルコ福音書10章2以下の記事はキリスト者として肝に銘じて生きていかなければいけない教えと受け止めたい。結婚の秘儀である。しかし、結婚生活には何と困難があることか。山あり谷あり、時には破綻も起こる。

     しかし、主イエスは結婚を非常に大切に考えていたのは間違いない。ファリサイ派の人は離婚が許されることが聖書(申命記24章1節以下)に書いてあると主イエスを正そうとする。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見出し、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(申命記24章1節)がその御言葉である。

     これに対する主イエスは結婚とは何かを明確に語っていないだろうか。モーセが離縁状を書いて離縁することを許したのは「あなたたちの心が頑固なので、このような掟を書いたのだ」(5節)と言いこう続ける。「しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人は別々ではなく一体である」(7、8節)

    この御言葉はキリスト教式で結婚式を挙げた方ならよく知っている御言葉である。しかし、「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ」の「結ばれ」の原語は「にかわで付ける、堅く結びつける」と意味の言葉なのだ。二人の男女が粘着力の強い「にかわ」で結ばれるのだ。更に、それ程に強く結ばれた男女が、何かの理由で破綻すれば、互いの傷は深いということだろう。

    最後に、主イエスの御言葉に留意したい。「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(9節)この御言葉は結婚式で司式をする牧師が二人の結婚式の最後に宣言する言葉である。本田哲郎神父はここを「神が一つのくびきにむすび合わせたものを、人が引き離してはならない」と原文に忠実に訳す。

    つまり、結婚とは「一つのくびきを」互いに担うこと、苦楽を共にすることである。赦しと忍耐が求められよう。私は今から43年前に妻(幸子)と結婚した。その時に誓約した言葉が、妻が心の病で倒れてから益々自分の支えとなっている。いや、今後どれ程共に生きて行けるが分からないが、その誓約した言葉に誠実に生きていきたいと強く思う。「あなたはその健やか時も病む時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命のかぎり、堅く節操を守ることを約束しますか」と約束した重みが、自分が病んで初めて分かり始めている。私たち一人一人も妻や夫を大切にいきていきたいですね。祈りましょう。