説教要旨


「説教要旨」

 2019年1月6日
  「委ねよ、神に支えられている」  友川 栄

 ルカ福音書3章15節以下にイエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受ける記事が記されている。
洗礼とは罪人が悔い改めて神に従う歩みを始める聖礼典の一つだ。プロテスタントの教会は聖餐
と洗礼を重視してきた。では、罪とは何か。警察沙汰も罪になるが、キリスト教の罪とは神も
のを神とすることだ。C.S.ルイスが「キリスト教の精髄」で記した「最大の罪は人間の傲慢」は至言だ。
他者の苦悩や痛みを考えずに、自分の事のだけに終始することも罪と言えないか。では、イエスは
罪を犯さなかったのに、なぜバプテスマのヨハネから洗礼を受けたのか。イエスの洗礼に十字架の
贖い(罪のつぐない)の秘儀が暗示されているのではないだろうか。民衆はバプテスマのヨハネが
待望していた「救い主」ではと考えていた時、ヨハネは「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授
けるが、わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く値うちもな
い。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」(3章16節)
と答える。バプテスマのヨハネよりも力あるイエスは人々を悔い改めるような素晴らしい説教を述
べることも出来た。聖霊に満たされ驚くべき癒しも出来たのではないか。しかし、イエスはそれを
せずに、民衆の一人となってヨハネから洗礼を受けたのだ。そして天から「あなたは私の愛する子、
わたしの心にかなう者である」(3章22節)との声を聞く。この御言葉はイザヤ書42章1節以下の
主の僕からの引用だ。42章2節には「彼は叫ぶことなく、声をあがることなく、その声をちまたに聞
こえさせず、また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道を示す
とある。イエス・キリストの十字架の恵みが記されていないか。更に、「イエスもバプテスマを受けて
祈っておられると」(3章21節)に留意したい。ルカ福音書にはイエスが祈っておられる箇所が随所
に書かれている。祈りの大切さもさることながら、「御霊もまた同じように、弱い私たちを助けて下さる。
なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあわわせない切な
るうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである」(ローマ8章26節) 神に支えら
ていることを感謝したい