2013年1月10日木曜日

牧師のひとり言 NO25


                                                                                  初老牧師:友川栄

「捨て続ける」

 

今日の礼拝は2013年の最初の日曜礼拝です。聖句は「三人の博士」のところです。イエス・キリストのご降誕には欠かせない人物です。「黄金、乳香、没薬」をささげたことから「三人の博士」と言われていますが、実際何人であったかは


推測の域を出ません。新共同訳聖書では「占星術の学者」と訳されていますが、そちらの方が正しい。いずれにしても彼らは星占いをして生計を立てていたのでしょう。

 

  正月から数日間、東京に住む長男夫妻のところに行ってきましたが、デパートなどの一角に必ず「占い」がありました。「手相占い」「運勢占い」などなどブースがあり多くの人々で賑わっていました。意外とニーズがあるのでしょう。それを大きくしたのが元旦参りです。今年は何人神社に詣でたのでしょうか。多くの政治家まで詣でています。

 

  ユダヤ教では「星占い」や「易者」「呪術者」はご法度だったのです。それがイエス・キリストの誕生物語に堂々と登場しているのです。これは生粋のユダヤ教徒にすれば許せない行為です。なぜ、占星術の学者たちが出ているのでしょうか。これはイエス・キリストの全人生の深い愛が込められている、と私は信じています。社会的、宗教的にも嫌われ、差別されていた人々の救いのために神の独り子としてイエス・キリストは誕生なさったのです。

 

更に、驚くべきことに「黄金、乳香、没薬」は彼らの商売道具であったという学者もいるのです。イエス・キリストに出会いその喜びに満たされた時、自分たちの生活の糧となる道具をささげたのです。救い主を発見した叡智や成果を誇ったりはせずに、生活を支える大切なものを「捨てた」のです。自我を神に明け渡した、と言い直してもいい。

 
神を信じるとは「自我」を捨て続けることではないでしょうか。最低の経済力は勿論必要です。彼らが自分の国に帰った後どう歩んだかは分かりませんが、恐らく再び占星術の学者に戻ったのではないでしょうか。しかし、以前の「占星術の学者」とは根本的に変わったと思う。お金よりも大切な物を発見したのではないでしょうか。神の存在です。そのお方を信じて「私利私欲」を捨て続ける人生を始めたのではないでしょうか。あなたは出来ます?

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