説教要旨
「急げ、ガリラヤに!」
友川栄
マタイによる福音書28章1~10節 2021年 4月4日(日)
全ての福音書(マルコ福音書を除いて)は主イエスに復活の記事を記している。キリスト者は主イエスが神によって復活され今も生きていることを大真面目に信じている。主イエスの復活信仰はキリスト教の生命線でもある。初代教会のキリスト者はこの信仰によって希望を与えられたのである。今もそれは変わらない。マグダラのマリヤともう一人のマリヤは主イエスの埋葬された墓に急ぐ。遺体に香油を塗るためでしょう。だが、その時、不思議なことが起こる。大きな地震で墓の石が転がり落ちて、雪のような衣を着た二人の天使が現れる。この天使が告げた言葉(マタイ18章5~7節)に留意したい。
「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにはわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおり、よみがえらえたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人からよみがえらえた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう。』あなたがたに、これだけは言っておく」。17世紀に訳されたThe King James Versionは7節をギリシャ語原文に近く次のように訳す。「and, behold(見よ), he goeth before you into Galillee; there shall ye see him: lo(見よ), I have told you」7節に二度「見よ:イドゥ」が書かれている。
これは明らかに主イエスがあなたがたより先にガリラヤへ行くことを強調している。ヨハネ福音書21章ではペテロやゼべダイの子ヤコブとヨハネが故郷のガリラヤで漁をしている記事が書かれている。史実的にはペテロ、ヤコブ、ヨハネが先にガリラヤに戻ったのだろう。だが、主イエスが先に行き弟子たちを待っていたというのも間違いではないと思う。主イエスは弟子たち全てが裏切り見捨てたことをよく知っておられたのである。弟子たち皆が後悔してもしきれない慚愧の念を抱いていたのである。そのことを主イエスは知っておられたのだ。そのような不甲斐ない弟子たちを赦し、福音を伝える器と立たしめたのである。
私は今非才を顧みずにユージン・ピーターソンの「聖書一日一章」を訳している。ピーターソンは常に「主イエスがあなたがたより先にガリラヤに行かれる」を心に抱き牧会をしてきたと述べる。病院にいる教会員を見舞う時にも「某病院に主イエスが先におられる」ので何をどう励ますかを心配せず病院に行くと述べる。また、厄介な委員会に出席する時にも「某委員会にも主イエスが先におられえる」ので、取り越し苦労をせずにその委員会に出ると述べる。私自身も田尻教会、登米教会、登米幼稚園の園長として丸9年間奉仕をしてきたが、今振り返れば、主イエスが先におられ適切な言葉や行動を為して下さったからだと感謝している。急げ、ガリラヤへ!そこが困難や試練に遭遇する場であろうとも、安心して出て行きたい。復活された主イエスがあなたがたより先にそこへ行かれているのだから。
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