2021年6月13日日曜日

【説教】「御言葉を語れ、御霊が語るままに」 使徒言行録 2章1~11節  田尻教会創立記念礼拝 2021年5月23日

 

御言葉を語れ、御霊が語るままに 


友川栄

使徒言行録 2章1~11節  田尻教会創立記念礼拝 2021年5月23日


  今日の礼拝は田尻教会の創立百周年記念礼拝です。陸前古川教会の伝道所として1921年5月30日のペンテコステ礼拝で始められたと聞いています。当時の陸前古川教会の牧師は小笠原政繁牧師でした。その後、後藤金次郎牧師が1933年に陸前古川教会に着任。1959年まで田尻伝道所の奉仕をして下さいました。1959年4月に高見巳代治牧師が田尻教会の専任牧師として着任。1965年の3月末で田尻教会の以前の牧師館と会堂を立てて後に辞任しました。
    正確には高見牧師は原始福音に走り、教団から解任されたのです。痛恨の極みです。その後、1965年9月から小久保達之佑先生ご夫妻ご家族が着任して何と2012年9月まで田尻教会の牧師として奉仕してくださいました。47年6月の奉仕です。牧師として同じ教会に40年以上も牧会することは今も昔も稀有なことです。私は個人的に牧師を美化したり蔑むことは嫌いですが、小久保先生の労苦がなければ今日の田尻教会はなかったと感じています。
    私事になりますが、私が教会に足を運ぶようになったのは、私が東北学院の二年生頃だったと記憶します。同じ大学で田尻駅から電車で通っていたものですから、その通学の中で斎藤文司君と出会い、彼から田尻教会に誘われたのです。信仰を求めてではありません。信仰は二の次でした。小久保先生は今の私の下手くそな英語よりの数段も流暢に英語を話してしました。つまり、小久保先生の英語に魅力を感じたのです。謂わば、教会を利用したのです。でも、神は不思議ですね、齋藤文司君、川名真君と一緒に1970年4月に船で渡米、そこで一年間留学ではなく遊学ですよ。その時に、私はお世話になっていた伊予谷峰男牧師から義理で洗礼を受けて帰国しました。帰国した後、大学に復学し無事に卒業。英語が使える商社に入社している最中に、牧師になる決心がつき目白ある日本聖書神学校に入学したのです。今でも英語に魅了されていますから、神の為さることは分かりません。

    余計なことを長々と言いましたが、今日与えられた御言葉に聞きたいと思います。今日の御言葉は幾度もペンテコステ礼拝で幾度も説教をしてきた御言葉です。幾度読んでも聖書は教えられますね。そのことを共に学びたいと願っています。古来よりキリスト教会は五旬節(別名:七週の祭り:元来は小麦の収穫の祭りで過ぎ越しの祭りの翌日から50日目に小麦粉で作ったパンを神に捧げる祭り。後に、モーセがシナイ山で十戒を授かった日とされた。)にエルサレムに留まっていた弟子たちに聖霊が与えられ「教会が誕生した記念の日」として守ってきたのです。

    弟子たちが「エルサレムを離れず、前にわたしかた聞いていた、父が約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けてが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」(使徒1章4,5節)と語った復活の主イエスの約束を忠実に生きた結果でしょう。主イエスの十字架の死から僅か50日目です。使徒言行録はルカ福音書を書いた著書が書いたと言われています。紀元90年代です。復活された主イエスが弟子たちに次のように述べる。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高いところから力に覆われまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24章46~49節)主イエスが十字架刑にされてからエルサレムにとどまれと勧めるのです。それに、何時までエルサレムに留まるかは明確に書いていません。待つことが苦痛に感じることがあります。何年何月何日と明確に示してくれれば意外と待てるものです。それが不明なのです。それに主イエスが十字架刑にされてから数十年経っていたなら話は違います。僅か50日です。彼に不安や危険がないと言えば嘘になるでしょう。だが、彼らは待っていたのです。

    更に、使徒言行録は、弟子たちとペトロを初めとする11弟子たちと「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリヤ、またイエスの兄弟たちと心を合わせて(原語:ホモスゥマドン:with one accord)、熱心に祈っていた。」(使徒1章14節)と記しています。加えて、人数が約120名と記す。田尻教会のメンバーは14名ですよ。120名となれば、日本では大教会です。アメリカでは何千人という大規模教会が沢山あります。冒頭で、キリスト教会では昔から聖霊が与えられて「教会」が誕生したと述べました。だが、現実には既に主イエスを信じる者たちが120名もいたのです。これは一体どういう意味なのでしょうか。聖霊と一体どういう意味なのでしょうか。それは、神の御霊です。神ご自身です。つまり、教会は神ご自身が立て、神の御霊によって支えられなければ教会は教会とならないのです。如何に多くの人が集っていても教会は教会とならないのです。

    更に、不思議なことは、120名の中に主イエスの「母マリヤ、またイエスの兄弟たち」がいたということです。マルコ福音書3章21節には主イエスの身内の者たちが主イエスの病を癒すことを知った時に「気が狂っている」と記されています。主イエスの兄弟たちは主イエスの福音宣教や御業を理解できなかったのです。ここに聖霊を待つ「キリストの体なる教会」の姿が暗示されていないでしょうか。主イエスを捨てた弟子たちとイエスの母や兄弟たちが一つにさせたのは「神の赦し」ではないでしょうか。いや「神の赦し」を祈り求めるために共に集ったのではないでしょうか。神は悔い改め者の祈りを聞き届けてくださいます。ですから諦めずに祈り続けましょう。

    「五十節の日が来て、一同が一つになった(原語:ホモスゥマドン)集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると一同は、聖霊に満たされ”霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した。」(使徒2章1~4節)とあります。聖霊が与えられた人々は御霊が語らせるままに御言葉を語ったのです。聖書を読む進んで行くと分かりますが、ペトロは他の弟子たちと共に主イエスの十字架と復活を語ったのです。主イエスは今の生きて働いていると語ったのです。

    それを聴いた人々は「話しているこの人たちは(原文では:見よ、イドゥ:強調です)皆ガリラヤ人ではないか。」(使徒2章7節)と記すように弟子たちを子馬鹿にしているのです。ガリラヤは辺境の地であり、田舎者と考えたのでしょう。しかし、人間の評価と神の見方は全く違います。神は自分に語る資格など全くないと思い込んでいる者を、敢えて選び神の御業を語らせるお方なのです。ですから恐れることはありません。時が良くても悪くても神が示す御言葉を語り続けていきましょう。伝道は数年で結果がでると考えるのは傲慢です。数十年、数百年のスパンが必要なのです。蒔かれた種はいつか実を結びます。それを堅く信じて福音を宣べ伝えて行きましょう。御霊の語る御言葉が真摯に語られ、御言葉が誠実に聞かれる所には「真の教会」が立ち続けることを信じながら!