2021年11月21日日曜日

【説教】「天に宝を積む人生を生きて行こう」2021年11月21日 マルコ福音書10章17節~31節

 「天に宝を積む人生を生きて行こう」 

  2021年11月21日 マルコ福音書10章17節~31節

 

      マルコ福音書10章17節以下の記事はマタイ、ルカ福音書にも並行記事がある。恐らく実際に起こった出来事であろう。ある説教者はこの記事は全ての人間に対する神からの戒めが記されていると述べる。つまり、この記事にキリスト信仰の急所が書かれているのだ。

    ある一人の金持ちの男が(恐らく青年だろう)主イエスに尋ねる。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか。」(17節)主イエスは神以外に善い者はだれもいない。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」(19、20節)と言う。だが、主イエスはこの男の拘りの根源を衝く。

      「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(21節)だが、この男は持っていた財産を捨てきれなかったのだ。貧しい人々への施しは恐らく行っていたと思う。だが、財産の大部分を手放すことは出来なかったのだ。いや、喜んでささげる心が無かったのではないだろうか。主イエスに従うことが出来ずに立ち去ったのだ。何か身につまされる出来事である。

        更に、主イエスは弟子たちに向けて「子たちよ、神に国に入ることは、なんと難しいことか。金持ちが神に国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。弟子たちはますます驚いて、『それでは、だれが救われるのだろうか』」と互いに言った。」(24~26節)とある。弟子たちもこの問題に理解できなかったのだ。これは他人事ではない。

       だが、主イエスが語った次に御言葉に留意したい。「人間にはできることではないが、神にはできる。神には何でもできるからだ。」(27節)今、ピーターソンの翻訳を継続しているが、その4月25日の黙想には心打たれる。「わたしたちが最も得意とすること」という主題である。ピーターソンは「与えること」こそ、わたしたちの最も得意とすることである」と断言する。「『与えることは』とは世界の在り様である」と述べ、自分だけに固執する人生に生きることなく他者に寛大に生きて行けと勧める。「預金口座」という枯葉にしがみつくな、最後は手放す時がくると説く。主イエスは全ての人のために命を捨てて下さったのだ。神の愛を身をもって示して下さったのだ。天に宝を積む人生を生きて行きたい。 祈りましょう。