「I NEED YOU ! I LOVE YOU!」
私たちには、誠実な人、嫉妬深い人、粘着質な人、淡白な人、天然な人、強情な人、怒りっぽい人など色々な人がいますよね。聖書にも様々な人物が登場します。そして人間の深層心理をよく捉えていますよ。それも神の視点から観ているために、人間的な評価を大胆に切り捨てる。神を「畏れ」ない
人間は、素晴らしい功績を残しても神は悔い改めを促し裁く。災害や戦争などが起こると、よく「神の不在」を声高に言う人がいますよね。また、宗教を信じる人は「変人」「心の狭い人」と「心の弱い人」と考える人が意外と多いのではありませんか。
人間は、素晴らしい功績を残しても神は悔い改めを促し裁く。災害や戦争などが起こると、よく「神の不在」を声高に言う人がいますよね。また、宗教を信じる人は「変人」「心の狭い人」と「心の弱い人」と考える人が意外と多いのではありませんか。
しかし聖書の「ヨブ記」「コヘレトの手紙」などは、信仰者の「死別」「試練」「病」「空虚感」という人間の修羅場を正面から取り組んでいます。無視し逃避をすることはしません。「カルト集団」との違いがここにある。キリスト教は、安直な「癒し」や「解決法」などを説きません。それを売り物している「教会」は危ないですから、くれぐれもご注意くださいよ。今、朝ドラの「梅ちゃん先生」にはまっています。医者を目指して、一生懸命勉学に励む医学生の「梅ちゃん先生」。他の医学生と比べるとどこか「抜けて」いる。困っている人、悩んでいる人を見ると放っておけない。おっちょこちょいでお節介屋。医師も人間。「梅ちゃん先生」のようなドクターに親近感を抱きますね。「上から目線ドクター」は、苦手ですなぁ。「上から目線牧師?」も多いですよ。私もその一人だったりして・・・。
ニコデモという人物も興味深い。ファリサイ派(ユダヤ教の一派:非常に生真面目な人々)に属していながらイエス・キリストの教に共感する。この人物はヨハネによる福音書に三回(3章1以下、7章45節以下、19章38節以下)書き記されている。イエス・キリストが十字架で処刑され墓に葬られた際に、アリマタヤのヨセフと共にイエスの亡骸に香油を塗るために登場する。ニコデモはその後、どう過ごしたかは定かではありません。聖書は沈黙していますが、イエス・キリストに感化を受けたことは確かでしょう。ニコデモはイエスが神と共にいなければ、しるしは不可能だと言う。それに対してイエスは「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3章3節)と答える。
「新たに」という言葉は、「上から」という意味の言葉です。神からです。ニコデモは誤解する。「もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と問う。今、幼児期まで戻る治療法(心の病)があるらしい。人間は幼児期に深い傷を負うと立ち直れない。彼もそれに気付いていたのでしょう。「三子の魂百まで」と言われるように母の胎内に戻りもう一度再出発したい、と願ったのでしょう。しかし、基本的な性格は変わらないが、深い愛情に接することで人間は変わりうる。幼児期が悲惨でも、人間は新しくされる、と信じています。神の愛は人間を変える力がある。だからこそクリスチャンは「教会」に行く。神は「I NEED YOU! I LOVE YOU! 」と深い愛情をもって関わってくださるから・・・。