2021年5月9日日曜日

【説教】「主よ。信じます!」 ヨハネによる福音書11章17~27節  2021年4月25日

 「主よ。信じます!」 


友川栄

ヨハネによる福音書11章17~27節  2021年4月25日


 神を信じても悲しみや艱難にも遭遇する。勿論、喜びや感謝なことも経験する。そのような山あり谷ありの人生を通して神への信仰が確固としたものになるのだ。神は時には愛する者を嵐のような試練を通して鍛錬する。真の信仰へと導く。順風満帆の時には、神から遠いことが意外と多いのではないだろうか。神の御心よりも、自分の願いを優先しているからだ。悲哀や苦悩に直面しようとも、神の御心なら喜んで甘受する信仰に生きていきたい。御心に生きる喜びは、何物にもかえがたいからだ。


ヨハネ11章17節に「ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた」と記されている。ラザロの姉妹マリヤとマルタは悲しみに打ちひしがれていたことだろう。マルタはイエスに「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」(ヨハネ11:21)と言う。これはイエスが遅れてきたことへの怒りなのだろうか。私はそうではないと思う。マルタの悲しみの深さが込められている言葉と受け止めたい。否、マルタは主イエスが傍にいて欲しかったのだろう。マルタは悲しみから声を絞り出すようにこう続ける。「しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今も存じています」(11:22)マルタはイエスを信頼して離さない。ここにマルタの偉さがないか。全てを無に帰す死に直面しながらも、それを超える神の御力を信頼していないか。生と死を支配したもう神を信じていると言えよう。


そして、マルタの信仰がイエス・キリストの驚くべきみ言葉を聞く契機となる。「イエスは彼女に言われた『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また生きていて、わたしを信じる者(ある英訳は「わたしを信じ続ける者は」と訳す)は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか』(11:25、26)ここにキリスト教信仰の秘儀が暗示されている。いや、私たち一人ひとりがこれを信じているかと問う。更にマルタはこう続ける。「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」(11:27) 小林稔氏は「はい、主よ、あなたが(この)世に来るはずの神の子キリストであることを、私は信じきっています」と的確に訳す。The Amplified Bibleは「Yes, Lord, I have believedI do believe:はい、主よ。信じていますと原文に近く訳す。私たちも「主よ。信じます!」と主イエスに全てを委ねて歩んで行きたい。